五十沢川の上流の山間部に位置する茅葺き農家集落である。江戸時代のはじめは最上氏領であったが、元和8年(1622)に山形藩領になり、寛永20年(1643)からは幕府領になり、そのまま明治を向えている。 通称上五十沢と呼ばれ、町へ出るのは尾花沢市を通らねばならない。 昭和30年3月までは五十沢川の下流の中五十沢と下五十沢(横内)の両地区が、この上五十沢と同じ行政区であったが、両地区を尾花沢市に編入したため、この上五十沢だけが村山市となり、五十沢となったのである。 今でも10棟ほどの茅葺き屋根の農家が健在であった。寄せ棟・切り妻・兜造りと型はさまざまだが、どれも差茅をしながら維持されている。でも既に無住になり、農作業小屋として使われている家屋も見られ、今後の維持管理の問題は深刻である。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 日本の町並V 平凡社 江田修司 2004年 |
五十沢の茅葺き民家 |
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