奥羽山麓から西北流する丸子川によって形成された扇状地にある。伏流水が湧水となって町の所々で湧泉列を作っていて、清水が湧き出る町として有名である 江戸期を通じて秋田藩領である。 中世、この地は六郷氏の城下町であった。城郭は不完全であったが、商業地として立地条件に恵まれていた。室町・蔵町・厩町・立町・大町・裏町・鋳物師町・中町・肴町が繁栄し、さらに文禄期(1592〜96)には雑仕町・古町・新町・籠町・上町・寺町が形成された。 六郷城は慶長17年(1612)に破却され、角館や横手とは異なり、所預は設置されなかった。町は城跡を中心に、西に六郷本館村、南に六郷川内池村と町場を継承した六郷高野村の3ヶ村に分割された。しかし村境は明確でなく六郷三ヶ村として記されることが多く、「秋田風土記」では六郷(3村)1,200軒・5,900余人とある 羽州街道が村内を通り、宿場町として宿駅制度も完備していた。 2・4・6・9日の十二斎市も町場で開かれ、活況を呈した。角館・横手・大曲に及ぶ広い商圏をもち、米の集散地として早くから知られ、取引商品は米・薪炭をはじめ日用品に至るまでを扱った。これらをもとに在地商人が成長した。湧水を利用した酒造業者も多く、享保11年(1726)には酒造業者が約20軒もあり、小西・栗林・西鳥羽・佐尾・梁田・鷹觜・竹村らの大商人がいた。 町場に居住して六郷本館や六郷川内池両村の田畑を耕す農民も多かった。「元治元年(1864)仙北郡村々取調帳」では六郷高野村では家数467・人数2,432。六郷川内池村では家数67・人数318。六郷本館村では家数20・人数112とある。 今、町は清水の湧く町として売りだしている。町並は切り妻造りの妻入りの大型家屋が点在している。明治29年に六郷大地震が起こり、この地では全滅に近い被害を被ったので、今ある建物はそれ以後のものだ。 秋田県の歴史散歩 山川出版社 秋田県高等学校歴史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 日本の町並V 平凡社 江田修司 2004年 |
美郷町六郷の町並 |
美郷町六郷の町並 |
美郷町六郷の御台所清水 |
美郷町六郷の町並 |
美郷町六郷の町並 |
美郷町六郷の町並 |
美郷町六郷の町並 |