南会津町水引は会津地方の南部、栃木県との県境に近く、阿賀川支流只見川 支流伊南川 支流館岩川 支流湯の岐川の西岸(左岸)に位置する。南方に帝釈山脈の田代山(1926m)が聳え、湯の岐川(水引川)の形成する最も奥の山村。 江戸期はじめは会津藩領、寛永20年(1643)からは南山御藏入領。村高は元禄7年(1694)会津郡村差出帳28石余、「会津鑑」でも28石余、「天保郷帳」「旧高旧領」では共に29石余。家数は元禄7年(1694)9軒、寛延年間(1748〜51)と推定される万覚帳では家数13・人数68。化政期(1804〜30)の家数15軒。明治4年の家数14・人数78とある。 国道352号線を松戸原の南会津町役場支所の所で南へ折れて県道350線に入り、少し進むと湯の花温泉に辿り着きます。そこから更に南に5km程の所に水引の茅葺き屋根の集落が現れます。 この水引集落も茅葺きの曲家集落として有名ですが、大内宿や前沢集落の様に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されておらず、茅葺きの家屋を維持するのが大変だったが、今ではNPO法人「山村集落再生塾」の活動によって、何とか景観を維持できているようだった。 この水引集落は明治19年と明治29年に全戸が焼失する大火に逢いましたが、その後に再建された茅葺屋根の民家が7軒残っています。前述のNPO法人の努力によって、何れの茅葺の家屋もよく手入れがされていて、民間の知恵でもって茅葺が維持されていることに敬意を表したい。 茅葺屋根の形態は近くの重要伝統的建造物群保存地区に選定されている前沢集落の茅葺とよく似た造りであった。切妻造り・寄棟造り・入母屋造りの茅葺の家が道に沿って並んでいるが、前沢集落の民家よりも、チョット小さい家屋が多いと感じた。 こんな水引集落の中に茅葺曲家の民宿(離騒館)があった。営業ができているのが不思議と思える民宿だったが、もう15年以上続いているそうだ。茅葺民宿の珍しさと、女将の人徳でリピーター客が多いのだろうと思う。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 http://www.minka.or.jp/shop/2012/04/post-19bf.html |
水引の町並 |
水引の町並 |
水引の民家 |
水引の民家 |
水引の民家 |
水引の民家(民宿 離騒館) |
水引の民家 |
水引の民家 |