南会津町前沢は会津地方の南部、栃木県との県境に近く、阿賀川支流只見川 支流伊南川 支流館岩川の西岸(左岸)の河岸段丘上にある。集落は古くは現在よりも館岩川近くにあったと伝えられています。 江戸期はじめは会津藩領、寛永20年(1643)からは南山御藏入領。村高は「会津鑑」「天保郷帳」「旧高旧領」では共に37石余。化政期(1804〜30)の家数13。明治4年の家数11・人数49とある。 前沢集落のはじまりは、文禄年間(1592〜1595)に只見川流域を拝領した横田城主・山内氏勝の家臣である小勝入道沢西という人が主人・氏勝が滅んだ後に当地に移り住んだとされ「中世に会津武士が拓いた集落」として地元の人々に言い伝えられています。 当地には屋根葺き職人が多く、明治初年に出稼ぎが始まったといい、ときには館岩村全体で300人ほどのカヤテの出稼ぎがあったという。 明治40年この前沢集落が全体の13戸、神社・寺が焼失するという大火に逢い、再建には隣接町村や越後の大工、13人の棟梁とその弟子たちが携わったと云われており、同一の大工集団によって、一時期に各戸を建築したことによって、統一的な景観が生まれたもの。 そして平成23年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。 前沢集落は曲家集落として知られている。曲家とはL字型に曲がった家屋のことで、手前の突出部には農耕や運搬に欠かせない牛や馬を、そして奥の家屋には人の生活場として、牛・馬と人とが同じ家の中で暮らしていました。 農業の機械化とともに、牛・馬は必要なくなりましたが、集落23戸のうち半数近くが曲家を維持して生活されている。 集落に入るためには、集落入場券を購入しなくてはならない。曲家集落の景観を維持するためには必要な方策だと思う。 集落を歩くと、茅葺の曲家や直家(じかや)の大型の重厚な家屋が連なっている。同一大工集団によって一気に建てられた集落ですが、切妻造りだったり寄棟造りだったりする。現在集落には23棟の茅葺主屋がありますが、その内13棟は曲家で7棟は直家、3棟がその他のなっている。 明治の末期に建てられたものだから、周辺地域の茅葺屋根の家屋と比べると、明り取り窓が大きくなるよう軒高・棟高が高い建造物となっているのが特徴だ。 平成23年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されたので、建物は保存はされるだろうが、人の住まない、綺麗な博物館の様にならないように願いたい。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 http://www.aizu-concierge.com/map/spot/10752 |
前沢曲家資料館 |
前沢の町並 |
前沢の民家 |
前沢の町並 |
前沢の町並 |
前沢の民家 |
前沢の町並 |
前沢の町並 |
前沢の民家 |
前沢集落 |