増毛町の町並
弁天町・稲葉町・鼻中町・南暑寒町
地図


弁天町の町並

 増毛町は北海道北西部、留萌地方の最南部に位置し、西は日本海に臨み、北は留萌市。増毛町から南の海岸線は200〜300mの断崖絶壁となっていて、国道231号線の開通までは、狭い山道が通じていただけだった。
江戸期は西蝦夷地のうちマシケ場所に属し、はじめ松前藩領、文化4年(1807)幕府領、文政4年(1821)松前藩領、安政2年(1855)幕府領、安政6年(1859)秋田藩領となる。
近世後期から幕末期にかけて、和人が次第に増加し、天保11年(1840)増毛以北の出稼ぎ(追い鰊)が許可されたことにより、沿岸鰊漁業が著しい発展をみせ、増毛は有数の鰊漁場として千石場所と呼ばれた。
明治に入り、請負場所制度は廃止されたが、鰊漁は活況を極め、明治18年「開拓使事業報告」によると増毛郡内に197漁場がひしめき、2,522もの雇人がいた。
漁場の発展は商業活動も活発化させ、農業開発への投資など呼び、地域経済を拡大・活性化させた。
昭和に入ってからも鰊の漁獲量は最高6万石余を維持し続け、地域経済の発展に大きく貢献した。だが、昭和30年を最後に鰊の来遊は途絶し鰊漁は終焉を迎えた。スケソウ漁に転換し、ソ連鰊を買い付けて珍味加工に活路を見出したが、町は衰退を続け、最盛期の人口(昭和30年16,768人)の1/3以下に落ち込んでいる。
古い町並みは海岸近くで、重要文化財の丸一本間家建物の近辺に展開している。いずれも鰊最盛期の町並が今に残っている地域である。この丸一本間家は木骨石造の建物で古い町並の景観に大きく寄与している。そして少し離れたところに国稀酒造の建物もあり現役の造り酒屋さんで、日本最北の造り酒屋だそうだ。
ただ、町並を歩いても余り寂れた感じがしない町並であり、なんだか救われたように思う町並み探索であった。                               
町並指数 40
参考文献
    角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年
    日本の地名北海道  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2003年



弁天町の町並

弁天町の町並

稲葉町の町並

稲葉町の町並

稲葉町の町並

弁天町の町並

稲葉町の国稀酒造

稲葉町の町並

鼻中町の町並

南暑寒町の町並
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