黒石市温湯は黒石市街より南東約8km、浅瀬石川中流右岸に位置し、集落の北側を黒石街道(十和田道)が通る温泉地。 温湯(ぬるゆ)村の江戸期は初め弘前藩領、明暦2年(1656)分家黒石領、文化6年(1809)から黒石藩領。村高は「正保高帳」179石余、「寛文高辻帳」「寛保高辻帳」「天保郷帳」ともに167石余、「旧高旧領」81石余。慶安年間(1648〜52)の絵図では家数17。 温泉は天正19年(1591)旧北畠氏家臣工藤次郎左衛門が浴舎を設けてから繁昌し、寛永年間(1624〜44)花山院忠長が遊び、温湯を名付けたという。(それまでは熱後湯《ぬるゆ》だった)。安永10年(1781)の手本山形道中紀に「これより築館村御番所を通り……温湯の入口なり。両側に揚屋あり……春秋は青鰺の両浜より女郎共集まり……」と黒石方面から遊客が集まる様子が描かれいる。菅江真澄も「津可呂の奥」で家は30軒ばかり、湯小屋は軒を連ねると記している。 弘前藩主も享保9年(1724)、同15年、享和2年(1802)、文化9年(1812)に温湯を訪ねている。 「国誌」によると家数69、明治24年の家数55・人数350とある。 今も温湯温泉はひっそりと昔のままの形態を保っている。土産物店もあったかどうか。○○客舎との看板を揚げた内風呂の無い湯治宿も多くあり、共同浴場が賑わっている湯治場。昔の風情を楽しめる温泉・湯治場と思いながらの探索だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 青森県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 |
温湯温泉の町並 |
温湯温泉の温泉客舎 |
温湯温泉の温泉客舎 |
温湯温泉の温泉客舎 |
温湯温泉の町並 |
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温湯温泉の町並 |
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