蔵の町として売り出し中の喜多方の江戸時代は、酒造の町・漆器の町であり、明治に入り製糸が盛んになったところである。 戦国末期から会津領主は伊達氏から蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行、加藤嘉明と代ったが、寛永20年(1643)から保科正之が会津藩主になり若松城に入って、そのまま幕末まで続いた。 今、喜多方市の中心部は江戸時代には小荒井村と小田付村といい、両村は会津地方北部の流通の中心となる在町・在郷町として町場が発達していた。早くから市が開かれ、周辺農村部の物資の集散地として発展した。 当地の特産物である漆器は、蒲生氏が近江日野から日野椀の技術を導入し、改良したもので明治以降も当地方の特産物として成長した。 酒造業も古くから盛んで、町の有力商人が酒造業を営んでいた。また明治に入り製糸が盛んになり、江戸期からの漆器業・酒造業と並んで中心的産業になった。また喜多方の発展を促したものに、明治37年に開通した岩越鉄道(現JR磐越西線)がある。この開通により製糸業が飛躍的に発達した。 今 古い町並は中央通りの一丁目・二丁目・(旧小荒井村)と南町(旧小田付村)周辺に残っている。中央通りの二丁目辺りが蔵や店蔵のある町並と云われ、多くの店蔵などが残っているが、残念なことに商店街になり店舗に改造され、その上アーケードに覆われている。辛うじてアーケードの上からのぞく二階部分が見られる程度で誠に残念な町並である。でもアーケードが無くなった一丁目には古い町並が見られる。その中に甲斐本家の店蔵が威光を放っていた。 また南町では店蔵が連なりいい雰囲気の町並であった。切り妻造りで平入りもしくは妻入りの土蔵造りの店蔵、桟瓦葺きの二階建て、観音開きの防火窓、前面に付いた屋根庇など、江戸時代そのままの伝統的な土蔵造りの店が並んでいた。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 福島県の歴史散歩 山川出版社 福島県高等学校社会科研究会 1990年 日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |
一丁目の町並 |
一丁目の町並 |
一丁目の町並 |
南町の町並 |
南町の町並 |
南町の町並 |
南町の町並 |
南町の町並 |
南町の町並 |
中町の町並 |
一丁目の甲斐本家 |
若喜商店レンガ蔵 |