喜多方市松山町は会津地方北部、阿賀川の支流の支流押切川下流左岸(東岸)に位置する。喜多方から北に向かう熱塩街道沿いの町で、江戸時代には松村新田村や高畠村と云われた所である。喜多方市街から北に約3〜4km程の所。 江戸期を通じて会津藩領。松村新田村は元和6年(1620)に上野勝左衛門によって開かれた新田村で勝左衛門は当村の肝煎となっている。 寛政4年(1627)会津藩に入った加藤氏の郡代守岡主馬は村松新田肝煎庄左衛門に対して当地に漆苗木を植えて置くように達しを出している。 化政期の「新編会津風土記」によると村松新田村の家数81・高畠村の家数は23とある。 近世、当地では酒造業と漆器業が発達した。文化4年(1807)の酒造株石高覚帳には酒造人として村松村善内・村松村友吉の名が見える。享保20年(1735)には村松村の清次袋や塚原などの漆職人が代官に対して、北方地方の山々に住む木地挽は木地を小荒井村へ出荷するように訴えている。 今回訪ねた松山町は、米沢市街から喜多方市街に向かって走っていて見つけたもの。町並は旧熱塩街道に沿って展開している。江戸期の酒造業の名残でしょう、最近まで酒造りをされていた重厚な大型家屋が旧街道に沿って建っている。他にも商家らしい大型建物が多く見られる町並みである。どの家も白漆喰の土蔵を備えた風貌ある町並みであった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |
松山町村松常盤町の町並 |