川西町玉庭は山形県南部、置賜地方、米沢盆地の西部に位置し、最上川の支流犬川に沿った小さな集落である。 慶長3年(1598)上杉氏領、慶長6年(1601)からは米沢藩領。文禄3年(1594)の蒲生高目録では2,134石余。」「天保郷帳」2,402石余、「旧高旧領」3,393石余。寛政11年(1799)の記録では家数130・人数660、馬84・牛7とある。 慶長6年(1601)の上杉景勝の米沢移封に伴って、大峠越え会津口および越後間道の押さえとして、鮎川信濃守らが配備され、鮎川氏召還後もその家臣たちが原方郷士として百姓と混住し、玉庭奉公人や玉庭足軽と呼ばれた。玉庭奉公人は約200人で、寛永15年(1638)の検地では約800石を所持していたが、手明組・辻番組・足軽などの下士層が多く、生活が苦しいので、農業の他、大工・指物大工・左官・炭焼きなどに従事する者が多かった。 明治11年の記録では、家数334・人数1,583とある。 今回訪ねたのは、茅葺屋根の集落を見るためで、旧街道に沿って茅葺屋根の民家が点在していた。寄棟型の茅葺屋根の家や曲屋根の茅葺民家などが見られ、日本のかっての農村風景が展開していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 山形県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 |
玉庭の茅葺民家 |
玉庭の茅葺民家 |
玉庭の茅葺民家 |
玉庭の茅葺民家 |
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