潟上市飯田川飯塚は八郎潟(残存湖)の東岸に位置する。 飯塚村の江戸期は秋田藩領。慶長8年(1603)村高415石余の村として成立したと推定できる。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに457石の村と図示。「享保黒印高帳」では674石余、「寛政村附帳」では当高532石余。家数は享保15年(1730)の「六郡郡邑紀」では、浜飯塚村38軒・岡飯塚村55軒と記す。 飯塚村の中央部を羽州街道が通り、湖岸の浜飯塚村と山沿いの岡飯塚村から成っていた。 今回訪ねたのは、旧羽州街道と旧五城目街道とが合流する地点の北側で、飯塚の中心部にある県内有数の酒造会社を中心とした町並である。ブロック塀越に見越しの松が見られる綺麗な道を歩いていると、国指定重要文化財と表示された説明看板が目に入った。小玉家住宅とある。敷地内に立ち入ること禁止の看板だが、門も全開しているし、柵も仕切りも一切ない。状態としてはどうぞ敷地内に入って下さいと受け取れる。タブレットを持っていたので、小玉家住宅と検索すると、公開していないとある。 公開していないのなら、門は閉めておいて欲しいもの。近くに小玉醸造と看板が揚がった工場があるので、この会社の創業者などの所有物とは判るのですが。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
飯田川飯塚の町並 |
飯田川飯塚の町並 |
飯田川飯塚の小玉家 |
飯田川飯塚の町並 |
飯田川飯塚の小玉醸造 |
飯田川飯塚の小玉醸造 |
飯田川飯塚の小玉醸造 |
飯田川飯塚の民家 |