江戸時代には羽州街道の宿場町として賑わい、参勤交代の大名が通った宿場町である。 戦国末期に最上氏の家臣丹与惣左衛門が金山城を築いて支配したが、元和8年(1622)最上氏改易とともに城は取り壊された。 江戸時代の金山ははじめ最上氏領であったが、元和8年(1622)から新庄藩領となりそのまま明治を向えた。金山町と呼ばれたのは、金山内町村・金山七日町村・金山十日町村の三ヶ村に分かれていたが、江戸時代にはこの三ヶ村で羽州街道の宿場町を形成し、金山町と呼ばれていた。 金山郷の交通・商業などの中心地で、3・7・9の九斎市が立ち有力な商人層も育った。 慶長7年(1602)佐竹氏が秋田に入部すると、羽州街道は主寝坂峠・雄勝峠を通り院内にと変更され、金山は宿場町として整備され、大名佐竹氏・津軽氏らの参勤交代路として利用され、旅人も多く町内には本陣をはじめとして旅籠や商家が軒を連ねた。そして金山には宿場の発展と共に有力な商人も生まれた。 しかし明治36年国鉄新庄駅が開業し、国鉄奥羽南線(現JR奥羽本線)が金山を通らず、院内まで開通すると、金山の交通上の地位は全くなくなり、商業活動は停止してしまった。 今、金山町では町並保存に力を入れていて、明治期の建物や土蔵が残る通りに、金山町街並み景観条例を制定して、それに沿った伝統的様式の「金山型住宅」を造って、歴史的建物と一緒に町並保存と町並の景観に力を入れている。 ただ、町並保存に力を入れるあまり、新築の金山型住宅が多くあり、外観だけでは古い家なのか、最新の新しい家なのかの判別が難しい。まあ、土蔵の新築はないと思うから、辛うじて古い町並に入るでしょう。 新築の古い町並にならないように願いたいものだ 山形県の歴史散歩上 山川出版社 山形県高等学校社会科教育研究会 1993年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 山形県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 日本の町並V 平凡社 江田修司 2004年 |
金山の町並 |
金山の町並(金山城の大手門、この長屋門のみ残る) |
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