金ヶ崎町の町並 
達小路・表小路
地図


達小路・表小路の町並
 江戸時代この地は、仙台藩の盛岡藩との国境の要害の城下町であった。
仙台藩主伊達氏は領内21ヶ所に要害を置き、一族の家臣に治めさせた。
慶長7年(1602)桑折景頼が金ヶ崎城主となり、その後伊達宗則城主となったが、水沢城に移封され、金ヶ崎城は15年間の城主なき時代があり、正保元年(1644)に大町主計定頼が入封し、それ以後、明治2年までの220年間、金ヶ崎の支配を任ぜられた。
仙台藩の要害21の内の一つ金ヶ崎要害は北上川と胆沢川の合流地点の舌状台地上にあり、北上川に沿って要害を取囲むように武家屋敷、南北に走る奥州街道の南北端には足軽屋敷、中央部には町人町が形成された。金ヶ崎要害は正保元年(1644)に移封された大町定頼によって整備されたと思われる。
訪ねた武家屋敷の町並は、大町氏が入封した時に要害(城)の周辺に造った家臣団の住居で、六軒小路・片平小路・達小路・南拾町・表門小路・諏訪小路・矢来丁の七小路があった。
地区内の小路は江戸時代のままで、鉤型や枡形に折れ曲がり、城下町特有の道路である。背の低い生垣が屋敷を囲み、独特の武家屋敷の光景を展開している。中には門を構えた家もあり、杉などの屋敷林が植えられた家も多くあったが、道から屋敷内が見通せないように生垣が配置されていた。
町並指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  岩手県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1990年  

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並

達小路・表小路の町並
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