上の国町の町並
上の国
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上の国の旧笹浪家住宅

 上ノ国町は北海道の南西部、檜山地方の南端に位置する。
松前藩発祥の地と云われている。慶長4年(1599)、慶長9年(1604)蠣崎慶広は徳川家康に参勤し、姓を松前と改称、本拠を大館に移し松前藩が成立したので、上の国は長禄元年(1457)から大館移転までの政庁所在地、移転後は西在郷の官府所在地として、蠣崎氏の蝦夷地支配の拠点であった。
江戸期は松前藩成立以来、その直轄支配地であり、文化4年(1807)幕府直轄領函館奉行の支配下に置かれたが、文政4年(1821)再び松前藩領となる。
享保年間(1716〜36)以前は北陸・青森等からの渡海者が、漁労と畑作による自給自足の生活が営まれていたが、享保年間以降は生業が鰊漁業に代わり、西蝦夷地出漁(二八取)・前浜鰊漁が活発となって、生活が安定し、人数も増加した。又16世紀末頃から本州諸国で城下町建設に伴う建築用材の需要が高まると、慶長元年(1596)に檜山山監を上ノ国に置かれた。そして延宝6年(1678)に江差に移されて、檜山番所と改称され、以降政治・経済の中心地は江差に移行し、当地は江差経済圏の一角を担うこととなった。
天明6年(1786)の「蝦夷拾遺」によると上ノ国の家数210余・人数370余、「西蝦夷地場所地名等控」によると家数211・人数864。産業は鰊漁・鮭漁のほか畑が多く雑穀を栽培した。
明治以降は明治19年家数712・人数4,075。大正5年家数1,019・人数6,412。昭和10年家数1,306・人数8,514とある。
明治30年頃までは鰊漁を主体に木材の伐採・薪炭製造・農作を行う半農半漁の形態であったが、この頃から鰊魚が不振となり大正2年を最後に沿岸からその姿が消え、鰊漁は北へ北へと移動していった。
今、道内最古と云われる旧笹浪家住宅が国道228号線沿いに建っている。19世紀初めに建てられたとされる建物である。圧巻は屋根に乗った石で、直径が約30cm程ある石が1200個程も置かれている家屋である。この地特有の強風にも耐えるような石置き家屋は見事であった。                               
町並指数 20
参考文献
    角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年
    日本の地名北海道  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2003年


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