角田市角田は宮城県の南部、南端近く、阿武隈山地の丘陵地に囲まれ、阿武隈川下流左岸に位置する。 江戸期この地は角田本郷と呼ばれ、支配は伊達一門の石川氏の城下町として明治を向かえる。角田本郷は石川氏の拠る角田城(角田要害)の城下町であり、石川氏の家中屋敷の大部分が集中していた。要害の南方から東方と北方にわたって、竪丁・道場町・館小路・北町・谷地町・西南町・東南町・本町・川辺町・大嶋小路・東町・堅田町・旗元足軽町の13町があった。 角田本郷の中心部を占める宿場町は角田町とも呼ばれ、本町3町3間・中町4町25間・天神町2町57間より成りたち、阿武隈川の舟運を含め伊具地方の交通の要衝として賑わっていた。 安永風土記によると、家中屋敷は全部合わせて367軒、町人の家数は198・人数1,057、馬51、舟は渡船2艘。産物は傘。 角田宿から東へ金津宿と亘理町(現亘理町)へ向かう道、南へ金山町(現丸森町)への道、北は槻木町(現柴田町)へ向かう道、西は白石町(現白石市)へ向かう道があった。本町・中町・天神の3町にはそれぞれ検断が置かれ、継立てなど宿場に関することを取り扱った。 中町検断は斎藤家・宮崎家・湯村家など、天神町検断は高野家など、本町検断は松岡家などが勤めた。 今、角田町を歩くと旧街道に沿って、大型の伝統的な土蔵造りの商家の建物が点在しているが、町並とは成っていない。何度もの大火に被災したための防火対策を講じた土蔵造りの建物。一番後の大火は大正5年で、角田町の市街地の殆どが焼けてしまったので、今見られる伝統的な建物もそれ以後に建てられたもの。ただ、多くの古い様式の家屋は今回の東北大震災の被害の傷跡が大きく、2年以上経った現在もブルーシートが被ったままの家を多く見かけ、心痛む探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 宮城県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1987年 |
角田の町並 |
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