鹿角市十和田毛馬内の町並 
十和田毛馬内
地図


十和田毛馬内の町並
 鹿角市十和田毛馬内は秋田県北東端部、米代川上流域、汁毛川の小坂川合流点東側に位置する。
江戸期を通じて南部盛岡藩領。毛馬内通に属していた。
明暦3年(1657)南部氏の重臣桜庭氏が毛馬内城に入り、弘前藩領境を守備し、享保20年(1735)毛馬内通の代官所設置を契機に町を整備した。寛政(1789〜1801)頃の「邦内郷村志」に、家数314で内訳は、上町31軒・中町34軒・下町46軒・五軒町57軒・萱町33軒・下小路75軒・川原町38軒とあり、馬231とある。
町割りは、城の西麓に侍屋敷を配し、小坂・濁川方面に抜ける街道(現国道282号線)を境に更に西側を町人町として五軒町・萱町・横丁・上町・下町などを置き、横丁・萱町を貫く街道が南に延びて花輪方面に至っている。寺院をその外側に配置して、小城下町を形成している。
市は三斎市で2の日に開かれていた。毛馬内代官所は柏崎館と云われ、桜庭氏居館で俗に毛馬内城と称し集落を西に見下おろす高台にあった。
町は全体として小坂川に沿って南北に細長い。かっての町人町、その中央部を東西に横切る町の中心街、本町通には今でも「こみせ」が残っている。秋田県でこれだけ残っているのは毛馬内以外に無いと云われている。「こみせ」とは木製のアーケードで積雪時の通行を確保するために、各店が私有地の前の部分に庇を出して人が通れるようにしたもの。
この通りだけが東西方向に伸びているのは、この通りの東の突き当たりの上に館が、西の終点には月山神社があり、どちらにも背を向けない敬神の心を表したものと云われている。
町並指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和55年
  秋田県の地名  平凡社  下中邦彦  1980年  

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内の町並

十和田毛馬内のこみせが残る町並

十和田毛馬内の町並
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