岩手町江刈内は岩手県の北部、北上川の上流地域で、県都盛岡から北方約30kmに位置する。 今回訪ねた岩手町江刈内・沼宮内は岩手町の中心街で、江戸期は共に盛岡藩領。沼宮内通に属していた。 江刈内村は「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には村名が見えない、が「邦内郷村志」では江刈内村と見え139石余、家数68・馬79とある。「仮名付帳」には沼宮内村の枝村として見える。「本枝村付並位付」によると、江刈内村と見え位付は中の上、家数99とある。明治12年には家数172・人数784・馬161とある。職業は農業137・工業14・商業3・雑業15とある。 沼宮内村は「正保郷村帳」469石余、「貞享高辻帳」551石余、「邦内郷村志」454石余、家数272・馬590とある。「本枝村付並位付」によると、位付は上の中、家数292とある。 吉田松陰は嘉永5年(1852)に当地に来ており、家数300余と記している。明治12年には家数488・人数2,068・牛78・馬507とあり、職業は農業365・工業31・商業51・雑業32とある。 江刈内村・沼宮内村には奥州街道が通っており、沼宮内村からは野田・久慈方面への道の分岐点があり共に交通の要所にあたり町場が形成され宿場町でもあった。沼宮内通代官所と盛岡藩の御蔵が置かれ三斎市も立っていた。 馬の産地として知られ、元和9年(1623)の藩主南部利直馬買付状によると、土川清三郎は沼宮内でよい馬を買入れるよう命じられている。 今、古い町並みは旧奥州街道沿いに展開している。新しい国道4号線がバイパスとなり町並の西側を通ったため、古い町並みがそのまま残った。伝統的な様式で建てられた家屋は比較的大型で、土蔵を備えた家も多く、個々の建物は古く見ごたえがあるが、連続して町並を形成するまでに至っていないのは少し残念だった。 参考文献 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 岩手県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 |
江刈内の町並 |
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