江戸時代の大原村には今泉街道が通り、三陸の海産物と内陸部の米穀など主食交流の通路であり、大原村は宿場町の様相を呈していた。 江戸期を通じて仙台藩領で寛永19年(1642)の検地帳によると、本百姓283で村居住194・町居住89。明和9年(1772)の家数520(封内風土記)。「安永風土記」によると家数585・人数3,015(男1,610・女1405)。嘉永4年(1851)の人数帳によると人数2,751(男1,425・女1,326) 大原村はこの地の政治・経済の中心地で東山北方支配の大肝入が置かれ、足軽46人が配置されていた。産物は砂鉄・生糸・紅花・養蚕・桑・楮・煙草などで、文化元年(1804)の東山北方村々諸役改帳で記載の職業は室師3・大工5・染師2・鍛冶5・桶結1・屑屋根葺2・木挽2・山立漁師鉄砲持19など諸職業に亘っていた。 明治以降も大原村は内陸と気仙地方を結ぶ今泉街道の宿場町、付近の馬・薪炭・煙草などの集まる海産物との交易市場であったが、大正14年に大船線が開通し、摺沢駅が開設してからは活況が見られなくなり衰退の一途を辿った。 今町並には伝統的な店蔵が点在して残っている。平入りであったり、妻入りであったり、切り妻造り・入り母屋造りと様々である。店蔵以外にも多くの切り妻造り妻入りの家屋が多く、殆どの家屋は2階建てで明治に入ってからの建物だろうと思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 岩手県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 |
大東町大原立町の町並 |
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