一戸町一戸の町並 
一戸本町・一戸向町
地図


一戸本町の町並

一戸町は岩手県北部、馬淵川中流域、現在では八戸自動車道一戸ICのすぐ南側に位置している。
江戸期は盛岡藩領。享保20年(1735)から福岡通に属する村であった。
九戸の乱が終わり九戸政実が滅ぶと、南部氏直属の一戸通代官所が置かれた。代官所跡は不明であるが、元和5年(1619)まで37年間一戸代官所があったと云われる。
村高は「正保郷村帳」307石余、「貞享高辻帳」384石余、「邦内郷村志」864石余、「天保郷帳」564石余、「安政高辻帳」453石余とある。
「本枝村付並位付」によると位付けは上の上、家数359とある。
奥州街道が縦貫していて、一戸村であるが馬淵川を挟んで東側は一戸町と呼ばれ宿場として町場を形成し、検断制がしかれ、年貢の割り当てや地方産業の奨励や、風紀の取締をしていた。そして馬淵川の西側は一戸村と呼ばれていた。
市は三斎市で1の付く日に開催され、塩・塩肴・粟・大豆などの雑穀、日用必需品が売買されていた。
吉田松陰は「東北遊日記」の嘉永5年3月9日条に「一戸に宿す。行程七里にして甚だ遠し。一戸は戸数三百、魚塩は之れを八戸に仰ぐ。此近の諸村皆然り。福岡・一戸は米・粟・稗・豆・及び漆林最も多しと称す。漆の税は毎株に銅銭四孔なり」と記し、漆林が多く漆・蝋燭等が特産であった。
明治18年では家数372・人数1,724・馬316とあり、職業は農業248・工業14・商業75・雑業30。産物は大豆・大麦・小麦・生蝋・水漆・太布・竹細工・生糸・真綿・化石とある。
今、古い町並みは旧奥州街道(旧国道4号線)に沿って展開している。今の国道4号線がバイパスとして町の東側を通ったので、古い町並みが残った。大型の伝統的な様式の建造物が旧街道に沿って点在している。一戸向町から馬淵川を渡って一戸本町へと伝統的な家屋の連なりも見られる町並であった。そして大型家屋では妻面を街道に向け、軒を設けた様式の家屋が多く見られた
町並指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  岩手県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1990年   



一戸向町の町並み

一戸向町の町並み

一戸向町の町並み

一戸向町の町並み

一戸本町の町並み

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一戸本町の町並み

一戸本町の町並み

一戸本町の町並み

一戸本町の町並み
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