板柳町の町並 
板柳
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板柳の町並
 板柳町板柳は青森県の西北部、津軽平野中央部、岩木川中流右岸に位置する。
江戸期弘前藩は板屋野木村としたが、一般には板柳村も使われているので併用されていたと思われる。
江戸期を通じて弘前藩領。元和末年(1624)から始められた新田開発により開村されたと考えられている。
村高は「正保高帳」131石余、「寛文高辻帳」1,541石余、「貞亨4年検地水帳」268石余、「寛保高辻帳」1,541石余、「天保郷帳」1,241石余、「旧高旧領」327石余。
正保元年(1644)弘前藩により、町づくりの縄張りと板屋野木渡しが設置された。以後岩木川の輸送の中心地として栄え、新田開発のための行政の中心地として、岩木川水運の拠点として商業活動が盛んになっていった。元禄3年(1690)の村位は上で、同年63艘の川船が配置され、寛文3年(1663)には藩より黒石・飯詰・浅虫の各村とともに大場(町)に指定され、板野屋木にも代官所が置かれた。当時の町割りは不明であるが、貞亨元年(1684)には上町(現通称仲町)・下浦町(現通称博労町)・川端町の三つの町が確認されている。延宝元年(1673)には藩の年貢米収納の蔵が建立され、岩木川中流域の年貢米を集めて十三湊へ送った。
江戸中期には新田開発を背景に商業活動が活発で、弘前城下にも勝る程の店があったという。
文政2年(1819)の卯年書上之表で家数223・人数1,163とある。明治24年の家数・人数は板屋野木村は601・4,093とあり、板屋野木は312・2,106とある。
川船運送を中心とした繁栄も、鉄道や自動車によって大きく変わり、今は水田とリンゴ農業を主体とした地方の小さな商業地・住宅地となっていた。繁栄時の名残の土蔵が街道沿いに多く見られ、街道に妻を向けた伝統的な様式の大きな家屋が並んでいた。
町並指数 30
参考文献   
  角川日本地名大辞典   角川書店   角川日本地名大辞典編纂委員会   昭和60年
  青森県の地名   平凡社   下中邦彦   1982年  

板柳の町並

板柳の民家

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板柳の町並

板柳の町並

板柳の町並

板柳の町並

板柳の民家

板柳の町並

板柳の民家
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