石狩市横町辺りの町並
横町・本町・仲町・弁天町・親船町など
地図
横町辺りの町並
石狩市横町は北海道中央部、石狩平野の西端、石狩川河口左岸の石狩砂丘の内側に位置している。 古くから石狩川の鮭の産地として著名で、近世には蝦夷地第一の鮭漁場として栄え、イシカリ十三場所の勤番所・元小屋(運上屋)などが置かれた。 明治2年石狩国石狩郡に所属、同年兵部省の管轄となったが、この時期すでに佐渡や東北からの移住者が多く、当地には市街地が形成されていた。そして明治3年開拓使の直轄地となり、同15年札幌県、同19年北海道庁の管轄となる。 明治3年8月、当地域を旅した宮島幹の「北行日記」によると当地域は鮭漁のほかに漁獲がないので、春は鰊場に出稼ぎに赴き、秋には鮭漁で繁華になるという。石狩川河口左岸には人家120軒、酒楼・奴楼が13・14軒あり、毎夜弦歌の声で賑わい、石狩川右岸の現八幡町・若生町には人家が15・6軒のほか開拓使出張所があった。 今の石狩市の中心地は花畔原野や生振原野と呼ばれる低湿地で、明治4年頃から東北各県からの移住が始まっていたが、本格的な移住が始まったのは明治26年以降である。 石狩川河口部左岸は江戸期には狭義「イシカリ」と呼ばれていたが、明治4年に浜町・新町・横町・仲町・本町・弁天町・親船町・船場町が置かれ、総称して石狩町と呼ばれ、市街地を形成していた。後に石狩川対岸の若生町・八幡町も追加された。 明治12年の家数・人数は本町25・103、弁天町52・294、新町32・157、浜町17・93、横町19・69、仲町8・31、船場町39・162、親船町66・248、若生町32・145八幡町8・40とあり、合計すると家数298・人数1342であった。 本町・横町・新町・仲町などには商店・貸座敷・料理屋・風呂屋・宿屋などが立並ぶ繁華な地域であった。鮭漁の最盛期は明治15年で148万尾をピークにその後激減した。 かって鮭漁で賑わった石狩の中心地を訪ねたが、何処が町並というほど人家も疎らな町であった。幕末期から明治中期までは石狩地方の中心地で、鮭漁で賑わっていた繁華な所とはとても想像できない、人家も疎らな寂れた感じの町並みであった。 でも、観光用に整備されたのか、電柱の地中化も進んだ公園のような町とも見えるが、賑わいが感じられない町であった。かっての石狩の中心であったと思えるのは、この地にある小学校の名前が石狩小学校であったことに納得した。 日本の地名北海道 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2003年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 |
横町辺りの町並 |
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