弘前市新寺町は弘前城の南側に位置する。江戸期は弘前城下の1町であった。 慶安2年(1649)の寺町(元寺町)の大火により焼失した寺院の移転のため、翌3年に町割りされたもの。 万治2年(1659)の津軽弘前古絵図には町名はないが屋敷割りはされ、法源寺他7ヶ寺の寺割と寺名が記されている。寛文13年(1673)の弘前中惣屋敷絵図では、元寺町から移転してきた法凉山円明寺他多くの寺院名が記され、町家46軒も見える。延宝6年(1678)の弘前町方屋敷割りでは、寺院の他に45軒の町家と武家屋敷一軒がある。享保6年(1721)の町割り帳には塔頭も記載されている。宝暦6年(1756)の弘前町惣屋鋪改大帳では町家108軒がある。 明治初年の「国誌」によると、家数234、うち寺院は14。 今回の探訪で新寺町を通り、古い町並を見つけたので立ち寄ったが、寺院ばかりの禅林街を訪ねた後だったので、寺院街はスルーして、古い町並のみを取材した。町並は加藤味噌醤油店を主体とする町並であり、明治4年の創業時のままの外観や当時の設備で、醸造から販売までされているようでした。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 青森県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 |
新寺町の町並 |
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