膝立村は奥羽山脈の東斜面江釣子森山(379m)の東側に突出した小丘観音山を含み、同山麓の東に位置する。北上川沖積地帯に属する平坦地。 江戸期は盛岡藩領。村高は「正保郷村帳」167石余、「貞亨高辻帳」196石余、「邦内郷村志」589石余、「天保郷帳」589石余、「旧高旧領」905石余。 「邦内郷村志」では家数22とあり、位付は中の下とある。 膝立の集落だけでなく、この周辺一帯で「いぐね」と呼ばれる散居村集落が見られる。富山県の砺波平野・島根県の出雲平野・香川県の讃岐平野など多くの散居村があるが、一番大きくて有名なのが富山県砺波市の散居村。近くでは岩手県の胆沢扇状地に散居村が見られる。何れも冬の寒風から家屋を守るために家の周りに植林したものであるが、その発生した理由はハッキリと判明していない。 ●単に家の周りを自分の所有地として耕作の利便性を図った。●江戸期に租税を少なくするために大きな集落でないと見せるため家々を散らばらした、等々云われているが、散居村の発生理由は不明。 散居村の風景は近くの山の高い所からから見ると見事なもので、特に水鏡になる田植え時期は素晴らしい光景が展開する。 ここ花巻市の「花巻の散居村」は山の中腹にある円万寺観音山から眺めると、「いぐね」の樹木が散在する島のように見えて素晴らしい散居村集落が一望できる。 どの家も、家の西側を主にして南側・北側にも杉の大木を植えて防風林とし東側が開けている。訪ねたのが稲穂の刈り取り前で、水鏡でなかったのは残念だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 岩手県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 |
膝立の散居村風景 |
膝立の散居村風景 |
膝立の散居村風景 |
膝立の散居村風景 |
膝立の散居村風景 |
膝立観音山からの遠望 |
膝立の散居村風景 |
膝立の散居村風景 |