五所川原市金木町朝日町は津軽半島の中央部南、津軽平野北部、岩木川右岸に位置する。 江戸期は弘前藩領。元禄3年(1690)には金木組に属し、村位は中とある。 元禄期(1688〜1704)以降新田開発が進んだ。村高を見ると、「正保高帳」186石余。「寛文高辻帳」186石余。「貞享4年検地水帳」1,959石余。「天保郷帳」1,620石余。「旧高旧領」2,375石余と村高が増加しているのは新田開発が進んだため。 天和3年(1683)金木川口に材木改番所が設けられ、岩木川を運ばれる御用木極印の確認、家材木並びに商売木などの払極印をうつことが行われた。元禄11年(1698)金木川沿岸の村入口付近に米蔵が建てたれ、金木組のうち10ヶ村、および金木新田のうち5ヶ村、広須組のうち2ヶ村の年貢米を収納した。 新田開発が進み、豪農・豪商が現れるに至り、弘前藩では御用金・献上米の割り当てが頻繁に行われた。金木村では福帳屋久右衛門・宮崎忠兵衛・阿部六三郎・竹内半左衛門・池田善七・角田文左衛門・池田屋半左衛門等に数回にわたり割り当てがあった。 多くの酒造家もいて酒造株の譲渡もあった。 明治初年の「新撰陸奥国誌」に家数234、「本通派町下町等の小名ありて市街をなし、酒醤雑貨稍備り頗富豪の邑里たり」とあり、酒や醤油の醸造が行われ富豪の村里であったと記載されている。 金木村は近在近郷の在郷町として発展し、明治10年頃の家数358・人数1,968・馬174とあり、明治12年の「共武政表」によると、家数348・人数1,990・馬139とある。 今、五所川原市金木町の観光の目玉は「斜陽館」である。新田開発で富を得た津島家が建てた建物で、小説家太宰治の生家である。彼の小説「斜陽」に因んで「斜陽館」として公開されているもの。この斜陽館辺りが古い町並みの中心地で、また旧金木町の中心地でもあった。 豪農・豪商が競って建てた豪邸の名残が各所に残る町並みである。個々の建物は重厚で立派な建物だが、町並を形成していると云うより、点在していたと云う方が合っていると思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 青森県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 青森県の歴史散歩 山川出版社 青森県高等学校地方史研究会 1996年 |
金木町朝日山の町並 |
金木町朝日山の斜陽館 |
金木町朝日山の町並 |
金木町朝日山の町並 |
金木町朝日山の町並 |
金木町朝日山の町並 |
金木町朝日山の町並 |
金木町朝日山の斜陽館内部 |