尾花沢市銀山新畑にある山峡の温泉。銀山川を挟んで両側に大正年間の洋風建物の旅館が軒を連ねる。 慶長〜寛永(1596〜1644)頃の野辺山銀山の最盛期に、銀山の鉱夫が川中の湧泉を発見したのに始まる。 銀山の衰退後に温泉が段々盛んになったという。 温泉は仙台への街道の往来筋ではなかったため、湯治客以外の宿泊は許されなかった。このため街道筋の宿である上ノ畑村と銀山新畑村との間で旅宿を巡り紛争が絶えなかった。宝暦年間(1751〜64)の争いは仙台街道往来の旅人が自然と温泉のある銀山へ旅宿するようになり、上ノ畑村が困っていると尾花沢代官所に訴えた。裁定の結果銀山新畑村は湯治客以外の旅宿は認められず、銀山に旅宿させる代わりに上ノ畑村へ湯殿山参詣行者旅籠銭一人前より五文の刎銭を出す協定が結ばれた。その後寛政8年(1796)再び争いが起こり、旅籠銭一人前五文のほか、休賄代一人前二文の刎銭を上乗せすることで落着した。そして三度目は銀山新畑村の刎銭の不納が問題になっている。 銀山新畑村は江戸はじめは最上氏領、元和8年(1622)山形藩領、寛永13年(1636)からは幕府領。正徳2年(1712)の村明細帳では家数67・人数271。宝暦11年(1761)の家数43・人数201。天明8年(1788)の家数45・人数217とある。 大正2年に大洪水に見舞われ大きな被害を受けたのを契機に、新しく復興された温泉街には大正ロマン漂う建築物が並び、それが現在に残されているのです。 特に4軒の建物は当時の姿をよく残していて、3階建て、4階建ての木造建築が銀山川の両側に建ち並んでいる。唐破風の玄関、鏝絵の描かれた戸袋など町並景観に大きく寄与していた。 山形県の歴史散歩上 山川出版社 山形県高等学校社会科教育研究会 1993年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 山形県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 日本の町並V 平凡社 江田修司 2004年 |
銀山温泉の町並 |
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