古殿町竹貫は福島県南部、阿武隈高地を流れる鮫川の中流域、中通りと浜通りの接点に開けた町。 近世はじめは岩城領、慶長7年(1602)幕府領、慶長8年(1603)下野黒羽藩領・下野大田原藩領、元和8年(1622)棚倉藩領、享保14年(1729)からは再び幕府領。 村高は正保4年(1647)の検地帳では480石余、「天保郷帳」500石余、「旧高旧領」496石余。 古くから竹貫氏古城の城下として、御斎所街道の両側に人家が密集し、街村を形成していた。 竹貫は岩城の小名浜・九面港・常陸平潟港と白河・棚倉・塙・石川などを結ぶ御斎所街道の中継所としても重要であった。本陣・脇本陣・検断などはなかったが、町の中心に高札場があり、町は上町・中町・下町からなり、各町に問屋がおかれ、旅籠屋・茶屋・五十集屋などがあった。 室町末期には既に竹貫市場が成立していたようだ。また竹貫米市も開かれ、その年の米価が決められる重要な市で、竹貫米価がそのまま年貢賦課の基準になる重要な市場であった。 竹貫の宝暦11年(1761)の家数109・人数437、馬20とあ、天明8年(1788)では家数77・人数373であった。 今、御斎所街道(現県道14号線)にそって、古い形式で建てられた民家が点在する。造り酒屋さんの酒蔵も残っていて、チョットした古い町並を形成している。でも古い御斎所街道が拡張されて、今の国道349号線や県道14号線になったようで、拡張時に取り壊されたのでしょう、余り伝統的な様式の建物が残っていなかった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
竹貫竹貫の町並 |
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