古平町の町並
港町
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港町の町並

 古平町は北海道中央西部、後志地方北部、積丹半島北東部に位置する。
江戸期は西蝦夷地フルビラ場所に属していた。初期の知行主は定かでないが、元文年間(1736〜41)には松前藩士新井田与左衛門の知行地で、鰊油物・数の子・鮫油・干鱈・ホッケなどを産した。場所請負人は初代は近江商人の岡田弥三右衛門で、享保年間(1716〜36)には5代岡田弥三右衛門が、以後11代岡田八十治が、 慶応2年(1866)種田徳之丞ほか2名に、この場所を譲渡するまで150年間にわたって、代々岡田家がこの場所を請け負っていた。
運上金は文政8年(1825)より天保2年(1831)までは260両、秋味運上金120両、差荷9両で、嘉永元年(1854)に350両、安政年間(1854〜60)385両2分、慶応2年(1866)には389両・差荷料9両2分と増加の傾向であった。出稼ぎ漁民の増加と、漁具・漁法の発達と相まっ漁獲高が増大したことによる。
そして今回訪ねた港町は、江戸期にはメメタレ、チョベタンなどからなる地域で、明治初めは垂美村と呼ばれていた所。
開拓使の管轄、明治5年の家数27・人数163。鰊漁が主要な生業で、明治6年には建網漁家11戸、刺網漁家19戸があった。明治12から港町となり、明治13年の家数・人数は永住33・187、寄留16・89、漁業生産高4は4,481石4斗、その9割以上が鰊製品であった。特に鰊〆粕が最大の産物であった。
海岸通に面して、鰊刺網漁家のほか、回漕店などが並んでいた。
明治33年の家数100・人数434とある。
今、国道229号線に沿って、番屋建物が僅かに残っている。大型の建物は見当たらなかったが、かって多くの番屋が連なっていたのだろう。                       
町並指数 30
参考文献
    角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和62年
    日本の地名北海道   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   2003年



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