福島市飯坂町は中通り北部、福島盆地北西部、阿武隈川の支流摺上川中流域に位置する古くからの温泉地である。 近世はじめは会津領、慶長6年(1601)出羽米沢領、慶長8年(1603)からは米沢藩領。貞享3年(1688)福島藩領、元禄13年(1700)幕府領、寛保元年(1741)白河藩領、慶応2年(1866)棚倉藩領となり幕末に至る。 寛保3年(1743)の村明細帳では高2,178石余・新田33石余。家数305・人数1,132。 文化7年(1810)当時、地内には5〜6ヶ所の温泉があり、旅籠屋渡世の者もいた。 4・9日の六斎市も立って、温泉町として一部町場化していて、飯盛り女もいたようだ。 寛政12年(1800)には藩主松平定信が領内巡見と湯治を兼ねて飯坂にきている。享保14年(1729)の飯坂村絵図には、波古湯・滝の湯・鯖湖湯・透達湯の湯屋が見え、これらは全て公共の浴場であった。 明治10年頃から急激に旅館が繁盛し、かって共同湯を利用した木賃宿が内湯旅館に変わってきたが、大正末期になっても現在のように、摺上川沿いに大旅館が並ぶと云う光景ではなく、摺上川の谷壁を降りた谷床に湯屋が建っている状態だった。 当地の堀切家は大庄屋格の豪農で、苗字帯刀を許されていた。同家は絹糸・生蝋・漆・鉄・米などを扱い、自宅では質屋・酒造を営業し、鉄山経営も行っていたようだ。 今も堀切邸がそのまま残り、町並に威厳を呈している。 今はこの飯坂温泉は旅館数・利用客数においても、東北地方屈指の温泉地になっているが、この飯坂温泉を歩くと、湯治場の雰囲気が感じられず、歓楽街の温泉の雰囲気を醸していて、チョット期待外れの町並探訪に終わった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
飯坂町湯沢の町並 |
飯坂町湯沢の町並 |
飯坂町湯沢の町並 |
飯坂町湯沢の町並 |
飯坂町湯沢の町並 |
飯坂町東滝ノ町の旧堀切邸 |
飯坂町湯沢の町並 |
飯坂町若葉町の町並 |
飯坂町立町の町並 |
飯坂町横町の町並 |