江別市二条の町並
二条・三条
地図
二条の町並
江別市は北海道中央部、石狩地方の中央東部で、今回訪ねた二条・三条は千歳川(江別川)が石狩川に合流する左岸に位置する。 江戸期、この地域は「エベツブト」といい、西蝦夷地に属し、はじめ石狩川筋のツイシカリ場所、寛政年間(1789〜1801)にはイシカリ十三場所のうち、上ツイシカリ場所・下ツイシカリ場所、天保2年(1831)からはイシカリ場所に属し、イシカリ十三場所全てを阿部屋伝次郎が請け負うことになった。 「エベツブト」は石狩地方と勇払地方を結ぶ交通の要衝。又石狩川・江別川の舟運と陸上交通の結節点であり、安政4年(1857)におたるないとチトセを結ぶ道路が開削され、なお一層交通の要衝となる。 明治2年千歳川左岸が石狩国札幌郡となり、更に明治11年千歳川左岸をもって江別村となった。同11年には屯田兵の屯田第一大隊の付属分隊が入地、明治14年幌内鉄道の札幌ー江別間路線開削がはじまり、明治15年江別駅開設。翌16年から石狩川の石狩ー月形間石狩航路江別港が設けられ、水陸交通の結節点となった。その結節点の地利による雑穀集散と流送木材の積出しに活況を呈し、倉庫施設、金融・通信施設も整備され雑穀商が進出、活気に満ちた時期を向かえる。 明治31年の家数1,274・人数6,274。明治34年家数1,636・人数8,600となる。 明治期江別ではレンガ生産と製紙業が興っている。「野幌レンガ」として知られ、初めてのレンガ工場は明治24年に「江別太煉化石工場」と云われている。レンガは第七師団・鉄道・北炭・一般建築用として需要が多く、鉄道建設に多く用いられた。 製紙は明治41年に富士製紙が操業を始めていて、今の王子製紙江別工場になっている。 石狩川の航路は、明治22年に石狩川汽船(株)、明治24年に西田汽船組が設立され、運漕をはじめた。明治25年には両社は合併し本社を江別に置いた。この時期近隣との交通網が形成され、江別はその中心となり、千歳川河口の左岸には倉庫が建ち並び、隆盛を誇ったが、大正末期から昭和の初めにかけて鉄道が発達し、この地域は急速に衰退していった。 今回訪ねたのは、明治後期から大正期にかけてレンガ倉庫などが建ち並んだ地域。結構多くのレンガ倉庫や石造り倉庫が見られるが、道路から奥まった所に建っていて、建物の一部しか撮影できず、写真掲載できないのが大変残念である。 北海道の歴史散歩 山川出版社 北海道歴史教育研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 日本の地名北海道 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2003年 |
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