大仙市長野は秋田県中央部の南寄り、雄物川の支流玉川の中流域、仙北市の角館と大仙市の大曲の中間に位置する。 江戸時代は秋田藩領。慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田に入部し、北又七郎義簾を長野紫島城に配した。北義簾の配置された長野は藩境の生保内口(現田沢湖町)を押さえる角館を支援する位置にある要衝であった。しかし、元和6年(1620)に北義簾が死亡し、跡を継いだ北義隣は明暦2年(1656)に角館に家臣ともども移り住み、長野の紫島城は廃されてしまった。そして長野には御役屋や代官が置かれた。玉川の通船も長野までは通じていて、船着き場としても賑わっていた。 市は2・6の六斎市であって、北氏が長野入りして、在郷給人町が出来てから開かれたようだが、角館に移転に伴い、市も角館に移ったようだ。 享保8年(1723)の仙北郡郡村本村支村御高調帳に家数203とある。「享保郡邑記」では234軒、「秋田風土記」では237軒とあるが、「月の出羽路」では128軒となり、市の廃止などの商業活動の衰退によるものと思われる。元治元年(1864)では家数188軒で、12ヶ支村の親村であった。 今でも古い町並みは、角館と大曲を繋いでいた旧角館街道に沿って展開している。新しい国道105号線がバイパスとして旧街道の東側を通ったので、旧街道筋には造り酒屋さんを中心に古い伝統的な家屋が並んでいる。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
長野の町並 |
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