大仙市協和荒川は、秋田市と大仙市(旧大曲市)の中間位の、上淀川から荒川を少し遡った繋街道沿い、現国道46号線・国道341号線沿いに位置する。 江戸期は秋田藩領。「享保黒印高帳」では村高594石余で14もの枝郷が存在していたが、19世紀初頭には犬平集落以外は全て消滅している。享保(1716〜36)頃には家数34とあり、農業の他に林業も盛んだった。文久3年(1863)の仙北郡西街道村々御高人馬書上帳には家数95・人数531・馬138とある。 天正19年(1591)発見と云われる畠鉱山を初めとして、宮田鉱山・荒川鉱山・長者森鉱山・宮田沢鉱山・尾改沢鉱山など多くの鉱山があったが、殆どは近世後期には休山してしまった。唯一残った荒川鉱山は元和4年(1618)で町家116・人数1千人余りとあり、多くの人がこの鉱山に従事していたようだ。幕府えの運上銀は元和元年(1615)銀5貫目、元和6年(1620)銀5貫百匁であった。 明治29年三菱の所有となり本格的な採掘がはじまった。労働者人口も2,000人程になったが、昭和15には休山した。 明治41年の荒川村の家数は1,067・人数6,447。大正14年の家数1,106・人数6,646とあり、昭和15年の家数884・人数5,481とあることから、鉱山の衰退・閉山での人口減少と思われる。 現国道46号線・国道341号線からそれた旧繋(つなぎ)街道沿いに集落があった。どの家も真壁造りの妻側を街道に面した大型の家屋で、白漆喰が際立つ町並である。鉱山と林業で栄えていた当時の豊さを残した町並みだろうと思いながらの探索だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
協和荒川上荒川の町並 |
協和荒川上荒川の町並 |
協和荒川上荒川の町並 |
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協和荒川上荒川の町並 |
協和荒川上荒川の民家 |
協和荒川上荒川の町並 |
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