大仙市角間川町は秋田県中南部で、雄物川に横手川が合流する所の南に位置する。 江戸期は秋田藩領。慶長7年(1602)秋田に佐竹氏が入部したが、秋田氏・小野寺氏の旧臣による反発が強かった。そこで小野寺氏旧臣73名(角間川給人)が招き抱えられ、雄物川中流の角間川に配され、一帯の新田開発にあたり、17世紀後半から18世紀前半にかけて、中田新田村・宮林新田村・新角間川村などの典型的な新田集落が形成されて、角間川村内に内町(大館町・上村町・四ッ村町・中村町・下村町・新町)を構成し、古くからの商人町にも本町・中町・上町があった。本町では寛文4年(1664)から6斎市が開かれていた。 雄物川の水運の便に恵まれたこの村は、雄勝・平鹿郡の物資の集散地として、船着き場が設けられ経済上きわめて重要な場所となってきた。 特に近世中期以降は盛況をみせ、本来は村でありながら町の機能を果たし商人を生んでいる。そして明治期の大地主形成の地盤となった。 宝永2年(1705)の平鹿郡村々御黒印高帳に高は本田77石余、新田149石余、合計227石余とあり、新角間川村は角間川開村として1650石余と別記されており、享保14年(1729)の平鹿郡御黒印吟味覚書には新角間川村と改称するとある。 享保15年(1730)の「六郡郡邑記」によると、角間川給人以外の家数は191軒で、上町・中町・本町の三町があり、給人の家数は73軒で、上記のとおり大館町・上村町・四ッ村町……新町があった。 18世紀後半、横手盆地一帯の地主・小作関係の急速な発展にともない、この地にも巨大地主の輩出をみている。そしてこの前後から角間川の船着き場も整備されいっそうの繁栄を見た。 角間川船場が最も繁栄したのは明治25年頃で、当時の大商人や大地主が活躍した。 今、町並はこの当時の巨大地主の屋敷を中心に形成されている。街道に面して高い土塀を巡らせた大きな屋敷に、重厚で広大な家屋が樹木の中に建っている姿は、明治時代そのままという感じだ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
角間川町の町並 |
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