浅川町浅川は福島県南部、阿武隈川の支流社川南岸の台地に位置する。 江戸はじめは会津藩領、寛永4年(1627)から白河藩領、寛文2年(1662)浅川藩領、天和元年(1681)再び白河藩領、寛保元年(1741)越後高田藩領、文化6年(1809)からは幕府領。 村高は、文禄3年(1594)の蒲生高目録では703石余、古領高長では524石余、「天保郷帳」562石余、「旧高旧領」474石余であった。 寛保元年(1741)以降、浅川陣屋が置かた。はじめ本町東裏に置かれたが、文化元年(1804)の大火災により全焼したため、翌年本町西裏に再建された。文化6年(1809)に幕府領となったのちも浅川陣屋は幕府領の陣屋として使われ、16代にわたって代官支配が行われた。 宝暦11年(1761)の榊原左兵衛巡見案内によると、浅川村の家数151・人数442、馬73とあり、安永9年(1780)の家数116・人数466とある。 毎年8月16日に浅川花火が行われる。その起源は明らかでないが、寛政4年(1792)の花火配合帳は浅川陣屋より出されたものと思われる。その花火大会は今も受け継がれ「地雷火」は特に有名です。 古い町並はJR水郡線と国道118号線に挟まれた旧石川街道に沿って展開している筈だったが、訪ねてみると殆ど残っていなかった。僅かに金物屋さんと味噌屋さんの建物が町並構成に寄与している程度だった。陣屋町として発展していた頃には、この旧街道筋には伝統的な家屋が建ち並んでいただろうなあ、殆どは茅葺だったろうなと思いを巡らせての町並訪問だった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
浅川本町の町並 |
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