由比宿は東海道53次の江戸から16番目の宿場町である。 古代から海岸沿いに東海道が通じており、現在も東名高速道路・国道1号線・JR東海道線・県道冨士由比線と主要な交通動脈が波打ち際の狭い所に集まる珍しい地域である。 江戸期を通じて幕府領であった。由比宿は中世から続く宿駅であるが、小宿なため近辺11ヶ村を加宿としていた。 町並は本町と西町・東町からなり、本町には本陣・脇本陣・旅籠屋が置かれ、西町には鍛冶・番匠・桶・畳・紺屋・指物その他の職人や食料・雑貨を商う商人や人足などが住み、東町は全部伝馬役であった。 元禄期(1688〜1704)には東町の東側に新町が出来たので東町が中町となったと推定されている。天保14年(1843)の東海道宿村大概帳によると、宿内家数160・人数713。本陣1、脇本陣1、旅籠32(大1・中10・小21)、問屋場は2ヶ所(本町)で1ヶ月交代で勤めた。。 由比宿は蒲原宿・興津宿に較べれば規模が小さいので、駅伝馬などの100人・100疋の常備人馬の負担が重く、しばしば幕府に軽減を願い出ている。寛文5年(1665)になると当宿の定宿郷であった今宿・北田・町屋原の三ヶ村が加宿に加わっている。 明治維新後、参勤交代の制度がなくなり、従来の宿駅制度も廃止状態となり、由比の宿場では街道関係で生活していた人が多かっただけに、打撃も大きかった。そして求めた活路は塩生産とミカン栽培であった。その他明治末頃から「サクラエビ漁」が成り立ってきた。 今、伝統的な家屋が残る町並は、本陣や脇本陣のあった由比宿の中心よりも、由比宿に加宿された北田・町屋原・今宿に多く残っている。 本陣跡は本陣公園として整備され、脇本陣跡の表示もされていた。本陣跡の向かいにあるのが正雪紺屋で由井正雪の生家と言われている。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 東海道を歩く 山と渓谷社 山と渓谷社大阪支局 2001年 |
北田の町並 |
町屋原の町並 |
町屋原の町並 |
町屋原の町並 |
町屋原の町並 |
由比の町並 |
由比宿本陣跡 |
由比の明治の郵便局跡とあった |
由比の正雪紺屋 |
由比の町並 |