旧東海道筋の静岡県由比宿に続いて寺尾・東倉澤がある。 寺尾村ははじめ海岸寄りに位置していたが、元禄12年(1699)には大津波によって被害を受けたため山寄りの高台へ移転したという。 東倉澤は江戸はじめに倉澤村が東倉澤村・西倉澤村に分かれて成立した村で、両村とも江戸時代を通じて幕府領であり、両村とも元禄7年(1694)に由比宿の加宿となっている。これは東海道の難所薩た峠を控えて間の宿が必要だったからだと思われる。 両村とも農間余業は塩焼きや漁猟であった。 寺尾村は東海道宿村大概帳によると寛政年間(1789〜1801)の家数50・人数203。 東倉澤村の家数は天和3年(1683)20、天明3年(1783)15、文政10年(1827)12とある。 今、町並を歩くと宿場町当時の町並が色濃く残る集落である。東倉澤集落の西端に望嶽亭と呼ばれる茶店 藤屋が公開されている。幕末官軍に追われた山岡鉄舟が座敷の地下から舟で清水に逃れたというエピソードが伝えられた茶店である。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
寺尾の町並 |
寺尾の町並 |
寺尾の町並 |
寺尾の町並 |
寺尾の町並 |
東倉澤の町並 |
東倉澤の町並 |
東倉澤の町並 |
東倉澤の町並 |
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