八百津の町並は古くから木曽川舟運の始発点として栄えた黒瀬湊と木曽木材川狩終点と筏流しの始発点である錦織鋼場によって発達したしたところである。(鋼場とは上流から流された木材をせき止め、筏に組み直す場所) 江戸時代には細目村といい、本郷(細目)と黒瀬・芦渡など8つの枝村に分かれていた。本郷から河岸で黒瀬湊のある間は商店が並び市街を形成し、この地方の中心地となっていた。 黒瀬湊は木曾川沿岸中最も舟運の盛んなところで、商家が多く繁栄した湊で、木曾・飛騨の玄関口としての役割を果たしてきた。寛政年間(1789〜1800)の「濃州徇行記」によると、細目村の家数816・人数3,557(黒瀬村175・654、芦渡189・737、北山138・504、杣沢82・428など8ヶの枝村)。荷船60艘、白木問屋2戸があった。 今古い町並は国道418号線の荒川橋東から黒瀬湊跡に通じる道路に沿って展開している。伝統的な様式の家屋が連なり、白壁土蔵や本卯建をあげた大型の商家の建物が連なる。 特に間口の広い大型の家屋が軒を連ね、その中に本卯建をあげた家屋は圧巻であったが、訪ねた当時には運悪く改造中であった。これだけ大型の商家の建物が連なるのは河湊時代の冨の蓄積が膨大であったのだろうことは容易に理解できる。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 岐阜県の歴史散歩 山川出版社 岐阜県高等学校教育研究会 1994年 |