山県市岩佐は 岐阜市街中心部より北、約15km辺り長良川支流の武儀川右岸に位置する。 江戸期は岩佐村といい、はじめは幕府領、元和5年(1619)より尾張藩領となる。村高は「慶長郷帳」530石余、「正保郷帳」では566石余、寛政年間(1789〜1801)の村高1,525石余、家数153・人数659、馬39とあり、紙漉きが盛んで70〜80軒もそれに携わっていた。明治初年の家数196・人数867、馬48。 平成の大合併で山県市になる前の美山町の時には、美山町の南の入口集落だった。 訊ねた所は古くは街道筋だが、商家風の建物も少なく余り街道筋の名残は残っておらなかった。 日本地名大辞典 角川書店 日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 岐阜県の地名 平凡社 下中 弘 1989年 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |
岩佐の町並 |