宇津の谷村は丸子宿の西に位置し、東海道が通っていて旅人の休憩所として茶店を構え、十団子・田楽などを商っていた集落である。 宇津の谷峠は宇津の谷集落と岡部宿の間にある峠で標高約170m。東海道は奈良期・平安期には焼津の花沢から日本坂を越えたのだが、峠が急峻なため、平安中期以降は「葛の細道越え」を通り、江戸時代には宇津の谷峠が東海道筋となったのである。 「葛の細道」は在原業平の「伊勢物語」の文言がからの引用であり、その後の「平治物語」「平家物語」「源平盛衰記」「義経記」「太平記」「十六夜日記」「新古今集」など多くの軍記物や日記に登場する。 そして戦国期になると、蔦の細道に西方約750mの峠を通る東海道が開かれた。この峠は標高も低く緩い斜面で、集落も多いことから街道としての価値を高め、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めのときに大幅に整備された。そして江戸時代に一般的なルートとなり明治初年まで栄えた。江戸時代の宇津の谷峠の道幅は9尺であった。 宇津の谷村はこの江戸期の東海道沿いにある集落で、今でもこの集落では「車屋」「石屋」「角屋」「伊勢屋」「丸子屋」などの屋号が民家の玄関先に掲げられていて、江戸時代の街道筋の面影を留めている。 そんな中に「御羽織屋」の屋号を揚げた家があった。小田原遠征の途中、豊臣秀吉が休息したおり、主人が戦勝に結びつく縁起のよい返答をした褒美として、帰途、綿入れ紙衣の羽織を与えたのに由来する。この羽織は今でも大切に保存されているそうである。 江戸時代からの建物は少なく殆どが改築や建替えられているが、それでも旧街道筋を歩くと、坂道に屋号を掲げた板貼りの民家が連なり、東海道を行き来した旅人がそこに現れるかと錯覚するほどの町並であった。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 |
宇津の谷の町並 |
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宇津の谷の町並 (左手前は豊臣秀吉ゆかりの御羽織屋) |