揖斐川町谷汲徳積 、谷汲山華厳寺門前町は岐阜県西北部、美濃平野の外縁に位置し、揖斐川と根尾川に挟まれ、根尾川の支流管瀬川に注ぐ中谷川 流域、華厳寺の門前町として栄えた所。 江戸期は谷汲村といい、はじめは織田長孝領、のち大垣藩領。村高は「慶長郷帳」56石余、「正保郷帳」96石余」、「天保郷帳」97石余。 西国三十三ヶ所観音霊場巡りの巡礼が行われはじめたのは室町中期といわれている。最初から順番が決まっていたのではない。谷汲が最後の33番になったのは、関東方面からの巡礼者が来るようになってからで、記録の最初に出てくるのは享徳3年(1454)である。 「新撰美濃志」には華厳寺の「門前に茶店多し」とある。木賃宿も多く、富岡屋・えび屋・大枡屋・小枡屋・かめ屋・合羽屋・銭屋・住吉屋・小村屋・北村屋・ふじ屋・竹屋などが軒を並べていたという。 文政7年(1824)3月2日から5月2日までの観音開帳に先立って、大垣藩主は池田筋・長瀬筋に対して、見世物・賭博の禁止、巡礼宿には巡礼者が一泊するほかは泊めてはならぬこと、火の元のこと、金儲けに走って田畑の耕作を怠らぬことを命じている。 今も門前町には料理旅館・飲食店・土産物屋などの商店が参道に並び、縁日や休日には参拝者で賑わう。 もう、40年程前に秋の紅葉を求めて、25年程前に春の桜を求めて訪ねたことあるのですが、駅からそんなに歩かなかったと思ったが。平成13年に名鉄谷汲線が廃線になり、今はJR樽見線が樽見鉄道になり、その谷汲口駅からバス便が。 今回は丁度、新緑時に訪ねたので、綺麗な新緑のトンネルを通ることができた。江戸・明治期同様に門前町の参道には、料理旅館・飲食店・土産物屋が軒を連ね、多くの参詣客で賑わっていた。 日本地名大辞典 角川書店 日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 岐阜県の地名 平凡社 下中 弘 1989年 |
谷汲山華厳寺門前の町並 |
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