丸子(まりこ)宿はとろろ汁で有名な東海道53次の江戸から20番目の小さな宿場。 丸子宿の所見は戦国期までは少ないが、永正元年(1504)頃、連歌師宗長は当地の領主今川氏家臣斉藤安元に依頼して、この地に柴屋軒(現柴屋寺)を設け、自ら「丸子閑居」「丸子草盧」などと称していた。その他に戦国期には丸子宿の記載は多数残っている。 当宿の近世の宿場町の成立は、慶長6年の五街道制定により丸子町とも書かれている。丸子宿は宿方と村方からなり、延享年間(1744〜48)から宿方は駿府町奉行の、村方は駿府代官の支配を受けていた。 丸子宿は小規模な宿場で、天保14年(1843)の東海道宿村大概帳によると、町並東西7町、家数211・人数795、本陣1・脇本陣2・問屋場一ヶ所があり旅籠24(大2・中16・小6)。本陣は代々横田三左衛門が勤めていたが、当初は本陣の名目が無かったようで、元禄年間(1688〜1704)に道中奉行久貝正方から本陣の名目を受けた。 宿場町時代の面影は「とろろ汁の丁字屋」以外には殆ど残っておらないが、宿場内を歩くと僅かに伝統的な建て方の民家が点在していた。このとろろ汁の丁字屋は、広重の絵に描かれた風情そのままの茅葺き屋根の外観は東海道を代表する建物の一つであるが、元の建物は昭和46年に取り壊され、古民家を移築したものである。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 東海道五十三次 河出書房新社 今井金吾 2000年 |
丸子7の丁字屋 (江戸時代から続くとろろ汁屋さん) |
丸子7の町並 |
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