関市の町並 
出来町・西町・吉田町・金屋町・千年町・鍛冶町
地図


金屋町の町並
 関市は県中央部の南寄り、美濃地方の中央部に位置する。
中世より刀剣・刃物業が発達し、今日も地場産業となっていて、包丁・ナイフ・カミソリ・ハサミなどが生産されている。
この地の江戸時代の領主関係は複雑を極めるので省略するが、訪ねた旧関村(現金屋町・千年町・鍛冶町など)は旗本大島氏知行地。旧吉田村(現吉田町・出来町・西町など)は初期は幕府領であったが、元和元年(1615)からは尾張藩領となるが、正保郷帳では尾張藩付家老竹腰氏の知行地とある。
関は飛騨路(金山街道)と奥美濃路(郡上街道)が交わる地点で、長良川の水運も加わり、中濃の物資集散・交通の要衝にあたっていた。又中世以来の刀鍛冶の技術を背景に、刃物生産を中心とする金属工業が発達し、刃物の関として有名である。
関村では刃物鍛冶が中世に引き続き盛んで、享保期(1716〜36)には人数約3,800人を擁し、中心部には20余り町があり、東西3本・南北4本の街路で構成される町場が形成されていた。その関町の東の吉田村の新長谷寺門前に大門町などの町場ができ、両村を津保街道が東西に走る交通の要衝で、宿場町的な性格をも持っていて、明治5年の調べでは宿屋が16軒あった。
江戸時代に入って、刀剣の需要が減り、農鍛冶や小刀・カミソリ・ハサミのどの家庭用打刃物の生産が中心となった。一方大名の招請により全国各地の城下へ移住した刀工も多く、関伝統の刀技術が全国に広まった。
享保5年(1720)の関村鍛冶改帳では鍛冶職90軒のうち刀剣専門職は4軒、他は小刀・薄刃・剃刀・鋏などの打刃物生産を行っていた。
.関町の経済の中心地は昔も今も本町通りで本町2丁目辺りから本町8丁目までと、東に続く旧吉田村の地域で、出来町、西町、吉田町など本町通りの延長線上にある。
本町通りの2丁目から8丁目にかけては、道の両側の歩道部分がアーケードになっていて古い建物が全く見えなくなっているが、その本町通りの一本南側の道には、袖壁を備えた伝統的な様式の家屋が連なっている。中には出桁造りの家屋も混じり見ごたえある古い町並みを展開していた。
そしてもう一つは、先ほどの本町通り続きの旧吉田村の区域であった出来町や吉田町では、同じ伝統的様式と云っても袖壁を備えた大型の商家建物が連なる。
本町通りの南側の伝統的様式の家屋は比較的間口が狭いが、ここ旧吉田村の辺りでは大型の家屋が多いのが特徴だ。
只、刃物の町関市を歩いても、刃物に関する商店は殆ど目にしないのはチョット寂しい印象だった。
町並指数  50
参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和55年
  岐阜県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1989年
  岐阜県の歴史散歩  山川出版社  岐阜県高等学校教育研究会社会部会  1994年

出来町の町並み

出来町の町並み

西町の町並み

出来町の町並み

出来町の町並み

金屋町の町並み

千年町の町並み

金屋町の町並み

金屋町の町並み

金屋町の町並み

金屋町の町並み

鍛冶町の町並み
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