大野町黒野は岐阜県西部、揖斐川支流の根尾川の右岸と同じ揖斐川支流の三水川に挟まれたところに位置する。江戸期は西黒野村と東黒野村に分かれていたが、明治8年に両村が合併して黒野村となる。今回訪ねたのは西黒野村の部分である。 江戸はじめは旗本宮城豊盛領。元和2年(1616)から尾張藩領となり幕末に至った。 西黒野村は「慶長郷帳」に村名が見られ、村高は「慶長郷帳」「元和領知改帳」では641石余、「正保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」では631石余。 明暦覚書によると人数340、馬34とある。「濃州徇行記」に家数123・人数527とあり、船6艘を持って農間に賃稼を行ったと記されている。 明治5年の村明細帳によると、家数148・人数584、馬30とある。 三水川の水運は、明治14年頃には黒野・下方など合わせて200艘ほどの船があり、米穀・薪炭・石炭等の川下げや雑貨の荷揚げが盛んであり賑わっていたが、大正期になり揖斐と岐阜を結ぶ岐阜街道沿いの黒野に、商店や各種事業所が増え人口が集中し、大野地方の中心として市街化が進んだ。この市街化に拍車をかけたのが、大正15年の美濃電気鉄道の開通(昭和3年揖斐まで全線開通)である。 今、黒野の町並を歩くと、東西に走る岐阜街道沿いに伝統的な様式で建てられた家屋が連なる。 又、この岐阜街道と直角に交わる道の両側にも古い形式の家屋が並んでいる。そして今は廃線となってしまった名古屋鉄道の黒野駅の一部と駅舎がそのまま再生利用されて公園となり、昔を偲んでいるようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 |
黒野の町並 |
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