大垣市美濃路の町並 
船町1丁目・船町4丁目・船町5丁目・船町6丁目・切石町2丁目・俵町・寺内町5丁目
地図


船町5丁目の町並
 天文年間(1532〜55)頃に築城されたという大垣城には、関が原の戦い後、石川康通が封ぜられ、その後数回の転封を経て寛永12年(1635)戸田氏鉄が大垣藩主となり、その後幕末まで11代235年間戸田氏の支配が続いた。
正保城下絵図によると、城を中心に士屋敷地域が広がり、美濃路に沿った北東部・東部・南部・南西部に町屋地域がある。この町屋地域は大垣宿とほぼ一致する。
大垣においては、関が原の戦い以前から存在した本町・中町・魚屋町・竹島町・俵町・伝馬町を古来町、元和2年(1616)藩主となった松平忠良の時代以降に発達した船町・伝馬北町・新町・宮町を出来町と称した。
美濃路は中山道と東海道を結ぶ脇街道で、濃尾平野の西部を北西から南東に走っている。
中山道垂井宿から分かれて、大垣−墨俣ー起−萩原ー稲葉ー清須ー名古屋宿を経て東海道熱田宿に通じる街道。
天保14年(1843)の「大垣宿差出明細帳」によると家数1,383・人数5,097。本陣1・脇本陣1とあるが、同じ天保14年の「宿村大概帳」では家数903・人数5,136、旅籠11とある。
大垣は城下町と宿場町がほぼ同じで地域であり、美濃路を城下の中心に通したので、城下町が屈曲の多い美濃路沿いに発達したようだ。
今の大垣市には余り伝統的な商家の建物が残っておらない。特に古来町といわれる地域には老舗の菓子屋さん以外には殆ど古い家屋が残っていない。しかし大垣湊があった船町辺りの県道18号線沿いには伝統的な様式の商家の建物が散見できる。大きな間口の商家建物を構えた造り酒屋さんや味噌醤油醸造元、呉服屋さんなど古い町並みを構成する店が点在している。中2階建てで切り妻造り平入り、袖壁をも備えた重厚な建物が多い。千本格子を残し、虫籠窓を備えた家もあったが、全て県道18号線の南側に展開している。多分旧美濃路の北側が拡張された結果だろう。
そして切石2丁目には間口は小さいが町屋風の2階建てで袖壁をを備え、軒を揃えた見栄えがする町並みがあり、一服の清涼剤のようだった。
町並指数  40
参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和55年
  岐阜県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1989年

船町1丁目の町並

寺内町5丁目の町並

船町4丁目の町並

船町4丁目の町並

船町5丁目の町並

切石2丁目の町並

切石2丁目の町並

切石2丁目の町並

俵町の町並

俵町の老舗菓子屋
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