駿河湾越に富士山が見える景勝地。 江戸時代は古宇村。江戸はじめは幕府領、天明4年(1784)から相模国小田原領で幕末を向かえる。明治29年に9ヶ村が合併して、西浦村が成立し、昭和31年からは西浦古宇となる。 寛政9年(1797)の村差出帳によると家数47・人数213、馬20、牛2、船9艘である。特産に密柑があったが、大規模な漁業は行われていなかった。 この町並が偶然に見つけた町並ですが、海岸沿いにある町並だが漁師町の様相は無く、普通の小さな農村集落であった。しかし集落を構成する家屋は石造りの主屋や土蔵、ナマコ壁の主屋や土蔵、板壁の家など、多彩な素材や建て方の違いを見せ、バラエテーに富んだ集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 |
西浦古宇の石造りの土蔵 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の集会場 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の町並 |
西浦古宇の石造り土蔵 |