戸田は伊豆半島西海岸の北部の景勝地で、戸田港という天然の良港をもつ漁村集落である。戸田村の江戸時代ははじめ幕府領、文化9年(1812)幕府領と旗本小笠原氏の相給、文政5年(1822)からは旗本小笠原氏と沼津藩の相給。安政2年(1855)の家数593。天保8年(1837)の家数は沼津藩領分332・小笠原分280。 戸田村では石材を産し、石丁場が13ヶ所あり、紀州家石丁場5ヶ所を勝呂家が管理していた。 洪水には度々見舞われ、享保元年(1716)・宝暦元年(1751)には多くの被害が出ている。また安政元年(1854)には大地震による津波に襲われている。 天保6年(1835)の沼津藩水野領分家数人別仕訳書上帳によると、15〜60歳の男536のうち大工・木挽・炭焼・出稼下男奉公が152、船乗・船奉公134、沖合漁業119、病身23とあり、半数以上のものが船にかかわった職業である。 町の中央部を戸田大川が西流して駿河湾に注ぐ。同川沿い及び河口部付近に集落があり、三方を険しい山で囲まれている。今戸田の町を歩くと、漁村集落そのもので、古い家は伝統的に板を多用した造りであった。そんな中に勝呂家だけがナマコ壁を用いた造りの家屋で保存されていた。 今も昔も漁業集落であるのは変わりなく、遠洋漁業に力が入れられているそうだ。 戸田で有名なのは、ロシアのプチャーチン提督のデイアナ号が沈没し、戸田号を代艦として製造したことである。この件は有名でありますが町並とは直接関係ないので割愛します。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 |
戸田の町並 |
戸田の町並 |
戸田の町並 |
戸田の民家 |
戸田の勝呂家 |
戸田の町並 |
戸田の町並 |
戸田の町並 |
戸田の民家 |