西伊豆町田子は伊豆半島西岸の中央部のやや南寄りに位置する漁業集落である。 寛文〜天和年間(1661〜84)頃、北部を大田子村、南部を井田子村と分村した。大田子村は海浜の村だが漁業は行わず、井田子村は漁業で生活していた村であった。 江戸時代はじめは幕府領、享保13年(1728)上野館林藩領・同18年(1733)再び幕府領となったが、延享3年(1746)掛川藩領となり幕末を向かえる。 江戸時代を通じて井田子は漁業が盛んであり、掛川誌稿(文化2年頃編纂)によると家数269(うち井田子189)・人数1,333(うち井田子989)で、鰹節の製造が行われ、文化14年(1817)には田子村の名主で船持・網元でもあった山本家は鰹節を集めて江戸小舟町の虎屋へ納めている。この地区の漁業は主として鰹・マグロ釣漁業・沿岸漁業や網漁業であった。 明治に入っても漁業が盛んで、明治41年田子港に所属する西洋型新造船は6隻・改良したもの13隻を数え漁獲高が増加していた。 町並は漁村集落で漁師町独特の板壁の家が細い路地にぎっしりと並んでいる。この田子の町も戸田や安良里と同じで、漁師町そのものであるが、石造りの土蔵や全面ナマコ壁で覆われた家が点在している。新しく造られた海岸沿いの道路以外は車も通れない路地道が集落を駆け巡っている。 その中に、漁師町にしては不似合いな全面をナマコ壁で覆われた建物を多く持つ大きな屋敷の家があった。経歴を調べなかったが多分網元と思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 |
田子の町並 |
田子の民家 |
田子の石造りの蔵 |
田子の町並 |
田子の町並 |
田子の町並 |
田子の町並 |
田子のナマコ壁の民家 |
田子の町並 |
田子の民家 |