中津川市落合は岐阜県南東部、恵那山の北西向きの傾斜地に立地している。 落合村は元和元年(1615)尾張藩領となり、正保郷帳では木曽衆の山村甚兵衛・千村平右衛門の両氏が240石余づつを分知する。 落合村は「濃陽志略」では家数152・人数850、「濃州徇行記」では家数145・人数792。明治3年の家数は169とある。 村内には中山道の落合宿が置かれていた。信濃国から美濃国に入った最初の宿場で、「濃州徇行記」では宿の長さは3町35間、宿内は江戸側から横町・上町・中町・下町と続く、宿内の家数約70、旅籠屋は多くあったが、商家は無く、貧しい宿場であった。天保14年(1843)の宿村大概帳によると、宿内の家数は75・人数は370、本陣1、脇本陣1、旅籠屋は14(大4・中5・小5)とあり、道のほぼ真ん中辺りには、上町から下町まで用水が流れていた。枡形は宿の東西両端にあり、横町と上町の境と下町の現在の善昌寺の前で、共に直角に折れ曲がっている。 明治12年に始まる蚕種の製造は落合村の重要産業となり、明治38年の製造戸数は18戸で、同38年の家数282・人数1,433で、養蚕農家は190戸にも及んだ。 今、落合宿を歩くと、伝統的様式の家屋が各所に残る。中でも町の中程にある本陣井口家の建物が圧巻である。文化12年(1815)の大火後の、文化15年(1818)に再建され、更に明治14年に今迄の板葺き平屋建ての建物を、土蔵造り2階建てに大規模修理したものが現在の建物。加賀の前田候から火事見舞いに拝領したという正面の門は昔のままとのこと。現在、本陣建物等は中津川市の所有となり、一部公開を検討しているという。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1997年 |
落合宿の町並(門冠の松) |
、 落合宿の町並 |
落合宿の町並 |
落合宿の町並 |
落合宿の町並 |
落合宿の町並 |
落合宿の本陣跡 |
落合宿の町並 |
落合宿の町並 |
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