中津川市福岡は岐阜県東端のほぼ中央部、木曽川支流付知川中流域に位置する。 江戸期は苗木領に終始した。福岡村の高は「慶長郷帳」「天保郷帳」共に745石余、明治5年の村明細帳では696石・新田88石余とある。同じく明治5年の村明細帳では家数230・人数1,422、職人29・医師1・酒造家5・鍛冶2・紙漉き3・紺屋1、馬181・猪鹿威鉄砲56を所有していた。職人の内訳は木挽・桶工・大工などの林産加工に従事する者であった。 福岡村には、中山道と下呂を結ぶ南北街道(飛騨街道)と中山道西道(黒瀬道)と呼ばれる八百津黒瀬に通じる道が交差する交通の要地であった。 明治5年の村明細帳によると、農間余業は山稼ぎとあるが、この地は零細農家が多く、余業と言うより山の木の切り出し・木挽・ヒノキ板子の付け出し等の山稼ぎやそれらの運送に生活の糧を求めていた。そのために馬を一軒に一頭飼育する状態であった。 裏木曽地方の板材を馬の背に付け、飛騨街道を南下し、木曽川を越えて中津川の材木・板問屋へ運ぶ馬子が多かった。 旧福岡村の中心地だった辺りを歩いた。中津川福岡総合事務所辺りの旧飛騨街道辺り200m程に亘って古い町並が残っている。短い距離の古い町並だが昔の面影が色濃く残っているのに感心した。その中でも一軒の伝統的な様式で建てられた現役の旅館が古い町並形成に大きく寄与しているのが印象に残った。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 |
福岡の町並 |
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