本巣市曽井中島は根尾川の下流域左岸、糸貫川上流の緩傾扇状地平野の扇頂部に立地。江戸期には曽井中島村といわれていた。 慶長郷帳で村名が見え、尾張藩領内石河氏の給地で、江戸期を通じて村高は1,614石余。明暦覚書によれば人数393、馬38・牛7とある。「濃陽志略」では家数220・人数1,170とある。寛政年間(1789〜1801)の家数278・人数968、馬83、明治3年の家数249・人数1,167。農間稼ぎは男は藁細工、女は糸撚稼ぎであった。 古くから根尾川沿いの街道として往来が多く、集落が集まっていた。今でもJR樽見線が樽見鉄道に変わったが、本巣駅の東側には商店街が見られる所が今回訊ねた曽井中島の集落である。伝統的な形式の家屋がチラホラと散見出来る程度だが、かっては賑わった商店街だったことが伺える町並であった。 日本地名大辞典 角川書店 日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 岐阜県の地名 平凡社 下中 弘 1989年 |
曽井中島の町並 |
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