森町の町並み

(旧町名は天宮・新町・仲町・横町・本町・新町・下宿・川原町)
地図


旧本町の町並
 遠州森町は北遠の小京都と言われ、浪曲師広沢虎造の次郎長三国志「森の石松」で有名であるが、秋葉街道の宿場町、北遠の商業の中心地として栄えたところである。
秋葉街道とは火防の神、秋葉山(秋葉神社)に通じる道路のことをであり、愛知県鳳来町大野でも記載したが、ここで云う秋葉街道は、掛川〜森町〜三倉〜犬居〜坂下〜秋葉山へ通じるルートである。
このルートを利用する人が最も多かったと思われ、俗謡に「森の横町なぜ日が照らぬ 秋葉道者の笠のかげ」と伝えられているほど、秋葉山への参拝者が多く、森町も宿場町として賑わった。
森町村・天宮村ともに領主・領土関係は複雑であり記載を控える。家数・人数については森町村は寛政2年(1790)の村明細帳によると、家数319軒・人数1,392人。天宮村は天明4年(1784)の村明細帳によると家数136軒・人数475人。
慶長初年(1596頃)明神山と呼ばれる三島神社の丘陵地を切り開いて太田川の流路を同社の東側に移し、旧河道を本町の往還通りとして町づくりがなされた。天保5年の「遠淡海地志」によると、町場は新町・横町・中町・本町・下新町・掛川街道・五軒丁・榎木下・土手下・下川原町・上河原町・川原町横町・宮下・新町東裏・新町西裏町がみえ、秋葉街道の宿場町として栄え、商家・旅籠が数多く描かれている。
毎月三と九の日、計6日の市が立ち、12月には大晦日にも市立が行われ、近隣地域の生活用品の集散地しても多いに賑わっていた。
森町村は古着の町とよばれ、大石屋・山中屋をはじめとする数十軒の古手(古着商)があり、葛飾北斎が描いた「日本繁盛百万都市」には、西前頭25枚目に森町の名がみえる。当地で扱われる古着は全国の市価を左右するほどで、その商圏は遠く東北・近畿に及び、遠州の冨の7割を占めたと云われるほどであった。
また、お茶も特産物であって香り・味とも優れた遠州茶として全国に名をはせていた。
宿場当時の面影は常夜灯や道標位にしか見出せないが、切り妻造り・平入り・中2階建て・格子・袖壁・板張の伝統的な商家や旅籠の建物が点在し、鄙びた古い町並の景観を呈していた。     
町並み指数 40
参考文献
   静岡県の歴史散歩  山川出版社  静岡県日本史教育研究会  1997年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会
   静岡県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2000年


旧天宮の町並

旧横町の町並

旧仲町の町並

旧本町の町並

旧本町の町並

旧下宿の町並

旧川原町の町並

旧川原町の町並
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