森町中心部の北に位置し、太田川流域の右岸を通る秋葉街道に沿って町並が展開する。 城下村の名は天方城のある山の北西麓に立地することから付いたという。 掛川藩領であったが寛延2年(1749)からは横須賀藩領となっている。村高は「元禄高帳」122石余だったのが、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに283石余と村高が倍増しているのは、新田開発のためである。 慶応4年(1868)の村明細帳によると、家数71・人数328となっている。 城下村の町並の特徴に、街道と家屋の間に三角状の空地があることである。慶長年間(1596〜1615)に新田開発で西方の山の麓から移り住んだ際、律令時代の条理制に基づいた宅地割りをしたので、街道と地割がずれていたところに、天方城攻撃の敵を防ぐため隠れる場所の確保として、三角形の空地が生まれ、結果としてノコギリの刃のような町並が形成されたと思われる。 この城下には、街道に沿って少し斜めに建てたれた平入りの大型の家屋が多く、宿場町のような雰囲気を持った町並であった。また町指定文化財で天保4年に建てられた秋葉山常夜灯が秋葉街道であるぞと物語っていた。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 日本の町並T 平凡社 湯原公浩 2003年 |
城下の町並 (手前妻入りの建物が秋葉山常夜灯) |
城下の町並 |
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城下の民家(元庄屋) |
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